すみません、お話が前後します。
(そのうち、記事を整理しますね。今は思い出したこと、書きたいことを心に浮かんだ順に記していかせてください。)











小学校3年の夏休み明け、だいこんの心のエネルギーが枯渇しました。



それまで、全く不登校の兆しがなかった...わけではありません。

月に一回か二回、学校に行き渋ることが続きました。

その度に叱咤し激励し、手を引いて学校の昇降口までついていって送り出しました。

きっと、それだってだいこんの事を追い詰めていっていたのです。
行きたくないって行ってるのに、お話を聞いてもらえない。
私のきもちなんて、聞いてもらえない──と。



でも。

それが、彼女のためだと思って──いました。
だって、義務教育でしょう?
学校で学ぶ勉強が遅れたら、将来にも響くよ?
できれば、進路の選択肢は広げてあげたい。
選択肢は多い方が安心だと思うから。
それが...選択肢の多い人生が正解だ、とまでは思わないけれど。
だけど、それは親がしてあげられる、唯一のことだと思っていたのです。




...ですが、それだけだったわけではありません。





どう見ても、本当に学校に行くのが辛そうで苦しそう...。本当に、これは彼女のためになってるの?

でも連れて行かないと、だめなんじゃない?

私、甘やかしすぎてる?

こども一人学校に連れていけないなんて、なんてダメな親なんだろう。

ただでさえ、ひとり親っていうだけで少しでも至らないところがあれば後ろ指を指されてしまう。

親としてきちんとしなければ。

親として。

考えなければ───。





どこかで、ずっと考えていました。

だいこんが生まれてから、ずっと。

ひとりで育てていることを非難されたくない。
誰にも文句を言われたくない。
いいおかあさんになって、いいこに育てなくてはいけない。
馬鹿になんてされたくない。

──これ以上、傷つきたくない。
  傷つけたくない。







ずっと心のなかで自分を責めて、
ずっと無意識のうちに娘を責めて、
そして娘に強いていました。




皆と同じように学校に行けばいいだけなのに、どうしてひとりで校門をくぐれないんだろう。

皆は体調悪いときしか休むことなんてないのに、なぜこんなに行き渋るんだろう。

私が休むのを許したから、気乗りしない日だからって休むのが癖になったんじゃないかしら。

...あれ?私、教育、間違えた?


そう思うとき、あたまが、くらりとします。
頭の前の方が重く、ぐらりと世界がまわるように感じて、言い様のない感情に目の奥が暗くなるのです。

怒りとも、後悔とも、悲しみとも、諦めとも、苛立ちとも、嘆きともつかない、言葉にならない暗い感情が、私を飲み込むのでした。






そして、そんな私を見て、娘の瞳に宿る光が、また弱くなるのでした────。